日本におけるラッピングの歴史は「折形.おりかた」から始まります。
折形とは贈り物を和紙でどのように包むかその方法を研究し、後世に伝わったものですが、実は600年以上歴史を持つ武家社会の礼法の一つです。
 用途や内容物により一つ一つ折り方、包み方を変える作法で鎌倉時代に誕生し室町時代には完成されたと言われています。

 室町幕府第三代将軍足利義満は室町幕府の礼法として、高家(こうけ)と呼ばれる故実家伊勢家には「内向きの礼法(殿中の作法)」を小笠原家には「外向きの礼法(野外の弓馬)」などを研究制定させ形を整いていきます。その殿中の礼法の一つに贈り物を包む折形がありました。

 伊勢家は、それまで使われていた唐紙に替えて国産の和紙を使用して包み、その上を和紙で作った水引で結ぶという折形を創案していきます。

 その当時、江戸時代までは紙は大変貴重なもので、武士階級では金品の変わりに檀紙(だんし)と呼ばれる最高級の和紙を贈答品にするのが一般的でした。
 そこで、奉書紙で贈り物を包むことで相手を尊ぶ気持ちを表したのでした。
 このように和紙の果たした役割は大きく、素晴らしい品質の日本の和紙を無くして折形は完成しなかったと言われています。


 室町時代はその当時、秘伝として扱われていたため代々「口伝」として伝えられました。
江戸時代になり伊勢貞丈(いせさだたけ)が「包結図説」(ほうけつずせつ)として初めて書物にまとめ、それが基礎となりいろいろな形で現在に伝わっていきます。

 白い紙に包むことは「白」=穢れのない、清浄を心として贈る、「紙」=神に通じ、贈り物をむき出しにしないで清浄なまま贈る、という日本人ならではの「気配りの精神」「思い遣りの心」が宿っています。


 その後、折形は伊勢家からたくさんの高家に、またそこから次々と伝わり様々な形に変えたものも存在することになってしまいました。
 しかし、折形そのものが持つ役割また贈る精神だけは変わらず、明治時代から戦前までは女子のたしなみとして学校の授業もあり教科書にも掲載されていました。

 現在のようなラッピングと言われる包みはずっと最近のものですが、いわゆる西洋化したのは
文明開花の明治期以降で戦後の環境やライフスタイル、時代の変化と共にに大きくその姿を変えてきました。

こうして長い歴史を持つ包み結び、ラッピングですが、今もなお変わらないのが「折形」の持つ
贈る心、つまり「気配りの精神」です。


資料:包結のしるべ (昭和6年9月5日発行大文館書店)