人との出会いは宝物✨

2025年06月03日 23:47

皆さんこんばんは!

今日NHKプラスで見逃し
配信番組を探していた
ところ、偶然懐かしい
方を見つけました。

NHKスペシャル
「未完のバトル」
シリーズ
名前は「赤松良子さん」

ご存知の方もいらっしゃるでしょうか?
「男女雇用機会均等法」の
生みの母と言われてる
方です。

赤松先生は労働省婦人
少年局長で、前局長の
森山真弓さんらと共に
大変な尽力をされ、
1985年日本で初めて
法律が制定されました。


なぜその先生を懐かしい
と思ったかといえば
あの当時もう40年も
前になるんですね、
ある会でしばらく
ご一緒させていただいて
いたからです。


長くなりますが少し
お話ししたいと思います。
もちろん私はまだ
ラッピングのラもやって
いない頃の話しですが。

この頃私は外国人に
日本語を教える、
日本語学校の事務長と
して働いていたのですが、
この時代の日本語
教育界を取り巻く環境は
非常に複雑で、毎日毎日が
まさに未知との遭遇…。

良いことなら良いけど
日本語教育と共に
留学生たちの査証、入管法
や、滞在、進学の問題
また、学校自体が文部省
管轄は非常に少なく
株式会社や個人経営など
種々雑多な環境のなか
で、進むべき方向を
探しつつ、仲間の学校の
校長先生たちと定期的
な会合を開きつつ
模索していた時期と
重なります。

置かれていた環境が
前例の無い中で、
必死に世の中の流れ
を見つつ、何かを
掴もうとしていた大変
な頃でした。

まだインターネットなど
ない時代、どこで見つけたのか?
ある女性の団体をみつけ
個人会員として参加して
みたのです。
初めての会合で、参加者
の皆さんの肩書きを見て
びっくり👀‼️

私一人が浮いてる感じ。
もう、そうそうたる
方ばかり。
すぐに後悔しましたね、
なぜ気軽に来ちゃったん
だろう!って。
でも帰る訳にも行かず
また、とにかく何か
知りたい思いもあり
最後まで参加させて
いただきました。
赤松先生とはこの会で
知り合ったのです。


人数は20数名だったか
と思うけど、労働省の
外郭団体ですからね、
集まる方々も確かに
納得でした。

その後なんとそんな
私が、ほか数人の方と
共にこの団体の幹事を
務めさせていただく
ことになりました。

会合の準備のため
郵便で案内送付したり
受付、お茶だしなど
先輩の諸先生方の手を
煩わせないよう
一生懸命頑張ったと
思います。

多分、その頃私は
会員の中では若い方
だったし、本当に何も
知らないことばかり、
逆にこうしてお手伝い
させてもらうことも
いろいろ学び、経験
出来る良い機会に
なりました。

ですから、赤松先生が
偉い方とは知りながら
どの位偉いか?その
当時はピンと来て
いなかったかも知れ
ません。
あまりに身近でお会い
してたので。

その後、赤松先生は
ウルグアイ大使として
赴任され、帰国後
先生から本を
いただいた、
そんな大切な
思い出があります。


実は
この会で知り合った
方々は、今思えば
かなり有名な方
著名な方がたくさん。

その当時は私、
どんなすごい人かも
知らず、
あまりよく状況さえ
わかっていなかった
かも知れません。

でも皆さんから学んだ
ものは、確実に
実になり、力になり
その後の私の人生に
大きな影響を受けた
とても貴重な体験でした。

最高裁判所の判事に
なられた高橋先生。
日本で初の女性部長
安西先生。
大きな病院で斬新な
取り組みをされていた
先生。
航空会社等添乗サービス
など会社を立ち上げた
三橋さん。
ジャーナリストの
下村満子さん。
ほかにまだまだ………


赤松先生は昨年
94才でお亡くなりに
なったようですが、
テレビでは赤松良子
先生に続く、若い人
たちが活躍されて
改めて素晴らしい人
だったことに
感無量の思いでした!

ちょっと無謀だった
けど、自ら飛び込んで
得た経験、出会いに
私自身本当に良かった
と思います。

思えば私、人の出会い
にはかなり恵まれて
いて本当に幸せです
よね。
ずっと今でもたくさんの
出会いがあり
本当に感謝の一言です。
皆さん、
いつも本当に
ありがとうございます♥️


さて、
まだまだ年にめげず
出会い………
続けていきたいですね!


長いのに最後まで
お付き合いして
いただき
ありがとうございました‼️


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